筑州毛鉤は、1980年頃に福岡県で生まれた毛鉤です。私は1995年に製作技法を伝授され、脊振山系はもとより、九州の各源流や渓流で使ってきました。
毛鉤の蓑毛にはチャボの首毛、胴には黄土色の毛糸にダチョウの羽根を巻き、やや重めの鉤を使った毛鉤です。以前は、手で巻いていましたが、小型万力にハタガネを付けたバイスへと移り、現在はフライフィッシングのバイスを使っています。年間を通じてこれ1種のみ使っています。主にヤマメ、アマゴが対象で、島根の山奥で図らずもゴギ(イワナ)を釣ったことや、ブラウントラウトを釣ったこともあります。

私が毛鉤釣りをするようになったお話。
私は、小さい頃から家の近くの雷山川で釣り遊びをしていた。釣りは、父が磯釣りや波止釣りなど、主に海釣りをしていたので道具等は家にあった。だから小学校の頃は父に同行してときどき海釣りに連れて行ってもらった。しかし、ほんとにときどきであったから、普段は近所の幼馴染と川で釣りをしていた。主な釣魚は、ハヤ(オイカワ)であった。その当時はエサを付けてのウキ釣りをしていた。
ある夕暮れ時、水面が雨でも降ったかのように波紋がたっているのに気づき、それが小さな虫を食べているハヤだと気づき、テレビで見たフライフィッシングのようにタコ糸の先に自分で作った毛鉤を付けてライズめがけて何度か飛ばしてみた。がしかし、タコ糸が水面に着水するや否やライズはパタリと止み、ほとんど釣れなかった。
その後、日本には古くからヤマメやイワナを釣るテンカラ釣りという毛鉤釣りがあるということを「釣りキチ三平6.7巻」にて知り、見よう見まねで撚糸のテーパーラインを作り、毛鉤は、私の家の近くは海釣りがほとんどでた川用、ましてやフライフィッシング用品は売っていなかったため、管付チヌ落とし込み用の小さなハリを使って作った。そして、家にあった雉の剥製から毛をむしって木綿糸を使って作った。実際この毛鉤は良く釣れた。
そんなある日、近所の友人の父が家に来ており、毛鉤を見せると今度毛鉤の巻き方を教えるという。
この友人の父が、私の毛鉤釣りの師匠である上石氏である。上石氏は、近所でも釣りが上手として有名であった。
その後、実際に毛鉤の巻き方を伝授してもらう日がやってきた。今まで毛鉤作りの道具はほとんど持っていなかったし、近所に売っているところもなかったので興味津々であった。まずハリを固定する道具であるバイスは、ホームセンターで売っている真鍮製のハタガネを使う。このハタガネを小さな万力に固定して引き出しの付いた小箪笥に据え付けるのが毛鉤作りの作業台であった。この作業台を使って教わったのが私が今でも1パターンで使用している上石流毛鉤である。
中学3年のある8月20日の昼下がり、いつものように友人の家に行き、ハヤ釣りに出かけようとすると、友人の父(上石氏)が「もう少ししたらヤマメの毛鉤釣りに連れて行ってやるけん待っとき」と言う。私は、初めていくヤマメの毛鉤釣りに高鳴る鼓動を抑えながら師の道具等の説明をひとしきり受けた。夢にまで見たヤマメの初釣行である。
そして、いよいよ出発となった。目的地は佐賀県富士町の上無津呂であるという。私が住んでいる糸島市(旧前原市)からは、そうめん流しで有名な「白糸の滝」を過ぎて長野峠という峠を過ぎてすぐの場所である。実際についた場所は、すぐ横には田んぼがあり、ごく普通の里川であった。ヤマメと言う魚が、普通人を寄せ付けない山奥の渓流にいてなかなか釣るのは難しい魚であるという概念からは想像できなかった場所であった。
「ここでちょっと振ってみようかね」と師は言い、すぐさま竿に糸をつないで川の横の道路から振り込んだ。二回ほどであっただろうか、竿を振るとすぐに手元に18センチほどのヤマメが飛んできた。
衝撃的であった。あの夢にまで見たヤマメという魚がこんなに簡単に、しかもこんな場所でつれるとは、それ以後、私がヤマメの毛鉤釣りに夢中になったことはいうまでもない。